「多数派の人は自分を優位的に思いがち」

つい先ほど、NHKでイノッチと有働アナウンサーで発達障害の番組をやっていたのをたまたま途中から観てたのですが、なんだか色々考えさせられる内容でした。。

 

 

 

自分の生きづらさに悩んでいた時、HSPという概念に辿り着くまで、発達障害をはじめ、様々な障害についても片っ端から調べていた時期がありました。

 

 

 

発達障害については、臭いに敏感なところで「もしかしてこれかも?!」と思ったことを覚えています。

 

 

 

 

 

先ほどのテレビでは、発達障害の方側の視点や脳の働きについて解説されていて、こうやって説明してもらえると理解もしやすいしわかりやすいなあと思いました。

 

 

 

その中で、専門家の方?が言っていた言葉がズシンと響きました。

 

「多数派の人は自分の事を優位だと思いがちなんですよね」

 

 

 

これってHSPにも言える事で、理解されずに虐げられることは同じだなあと思いました。

 

 

 

逆に、自分も無意識にそう思っている事もあるよなあ、と。

 

 

 

「普通さー」っていう言葉。

 

 

私も何気なく使ってしまうことは多いけど、何を持ってして「普通」と定義されるのかって、わからないですよね。

 

 

自分にとっての「普通」は、他人にとったら「異常」なのかもしれない。

 

 

 

「普通」って、当たり前にみんな使うけど、すごく抽象的で曖昧ですね。

 

 

 

 

 

ただ、少数派ってやっぱり排除されてしまう。

 

 

規律を重んじる日本では特に、「普通」以外を排除する傾向にあるのかなって思いました。

 

 

 

 

 

そりゃ少数派は生きづらい。。

 

 

 

 

小学生の頃なんて特に、今思えば発達障害だったんだなっていう同級生は結構いたような気がします。

 

 

今は少しずつ障害について知られたりしてきたから子供の頃から対処出来ることも増えたのかもしれないけど、昔はただ「変わってる子」って思われて終わりだったから、本人は辛かったんだろうなって思います。

 

 

生きづらさ自体は今も変わらないかもしれないけど。。

 

 

 

 

社会全体が理解していくこと、発達障害に限らず、色んな障害や目に見えない心も問題も、理解し合えるのが当たり前な世の中になったら、二次障害も少なくなるんだろうな。。

 

 

 

だけど、身体的なものに比べると、目に見えない障害や性格的な要因の場合は、やっぱり理解は難しいよね。。

 

 

自分自身の事の辛さはわかるけど、一見何の問題もなさそうな見た目の人の辛さなんて、そりゃなかなか理解出来ないのが当然だ。。

 

 

 

 

 

HSPの理解されなさ、生きづらさと重ねながら、視聴してました。

 

 

 

 

理解されない側の少数派、理解出来ない多数派、どちらの気持ちもわからなくはない。。

 

 

 

共感したり、反省する部分もあったり、考えさせられる番組でした。

 

 

 

 

こういう番組、民放でももっと取り上げられればいいのにね(^-^)